間野台貝塚 まのだいかいづか
間野台小学校
   

間野台貝塚(まのだいかいづか)

 

遺跡は佐倉市の北部、印旛沼南岸の標高約28mの台地上に立地している。遺跡が所在する台地は、印旛沼に注ぐ鹿島川から入り込む谷によって開析されている。

遺跡は早期後半の条痕文期と、前期後半の諸磯・浮島式期の集落が中心である。調査の歴史は古く、昭和14年に東京大学人類学教室(現:東京大学考古学研究室)の調査が始められた。当時としては前例のない条痕文期の住居跡と、船橋市の台貝塚につぐ炉穴の発見という成果を挙げている。

条痕文期の集落は、鵜ケ島台式から茅山下層式移行期の住居跡、炉穴、土坑か構成されている。住居跡はいくつかの群を形成するが、なかには重複関係にある群も認められる。住居跡や炉穴の一部からは、貝が廃棄された状態で出土している。貝はハイガイを主体に、ハマグリ、オキシジミ、マガキ、アサリなどが認められた。住居跡は径2m前後の円形を呈し柱穴が小さく不明確なものから、長軸6mほどで主柱穴をもつ隅丸長方形状のものまで多様である。炉はもたないものが多いが、炉に相当するとみられる窪みが認められるものもある。この窪みは、方形や長楕円形を呈しており、形態的には早期前半、撚糸文期の住居跡の窪みに似ている。

出土した鵜ケ島台式土器のなかには、胎土に金色雲母や石英・長石を多量に含むものがわずかに認められる。印旛地域に限らず近隣都県でも確認されており、同時期の土器とくらべて明らかに異質である。また、胎土中の繊維の含有量が少なく、焼成が良いのが特徴である。

本遺跡は条痕文期の一時期に集落が設営された後、断絶を挟んで前期後半に再び集落が形成されるという印旛郡内では珍しい土地利用の変遷を辿る。なお、前期後半の集落は本遺跡の近辺では確認されてないことから、当該期の印旛沼南岸の様相を知る上でも興味深い遺跡である。           (「印旛の原始・古代」印旛郡市文化財センター) 

  
   
間野台小学校の北側になります。  


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