曲輪ノ内貝塚 くるわのうち
   

曲輪の内貝塚(くるわのうちかいづか)

 

縄文時代、印旛沼は海でした。その印旛沼を見下ろす台地に江原台遺跡があります。遺跡は佐倉市北西部、鹿島川と手繰川に挟まれ、印旛沼を北に望む標高約26mの台地上に立地する。曲輪ノ内貝塚は台地の付け根部分に位置し、遺跡は古くから調査が行われ大規模な集落跡と認識されてきた。

曲輪ノ内貝塚は、台地西側から入り込む谷を囲むように高まりが展開する中央窪地型集落である。北西側の高まりから中央窪地にかけての調査では、生活痕跡の累積が確認された。また、黒色土中において建物跡1棟とその床下から埋葬人骨1体、晩期中葉の建物跡1棟、中期終末から後期初頭の土器類が検出された。これらの調査結果から、曲輪ノ内貝塚の高まりは後・晩期の居住活動にともなう諸施設の構築や埋葬、および生活残飯の廃棄の繰り返しによって形成されたものと考えられている。これは、印旛沼周辺に分布する類似した遺跡の形成を考えていく上で重要な視点のひとつになるだろう。

 何度か行われた発掘調査では大量の土器とともに、縄文時代中期の有孔鍔付注口土器(ユウコウツバツキチュウコウ)、後期の山形土偶、異形台付土器、晩期の亀形土製品などが見つかっています。これらは、祭祀や儀式の時に使われたものと考えられています。その他、貝輪(ブレスレット)や玉類(ネックレス)などの装身具、狩猟の時獲物に突き刺す道具として使われた骨ゾク、毛皮などに穴をあけるための骨針(コッシン)も見つかっています。

 また、昭和50年代に現在の聖隷佐倉市民病院が建っている地域周辺が発掘調査された時には、縄文時代中期後半の住居跡が30軒ほど発掘され、中期後半から晩期前半(今からおよそ4000年から3000年前)までの土器や石器も出土しました。

 このように、これまでの調査から大量の土器とともに、貴重な出土品がありました。まだ調査されていない畑地には、今もたくさんの土器が散っています。

(「原始・古代の佐倉」佐倉市市史編さん室)

(「印旛沼の原始・古代」印旛郡市文化財センター) 

曲輪ノ内貝塚はさらに右方向になります。
  
臼井田から北東を望む。この丘の先が曲輪ノ内貝塚。  

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