岩富漆谷津遺跡 いわとみうるしやつ

岩富漆谷津遺跡(いわとみうるしやついせき) 

 岩富の標高約22メートルの段丘上にあり、現在は遺跡の北側が市立弥富小学校となっています。遺跡は同校の建設に伴い発掘調査されました。

 この遺跡に初めて生活の痕跡を残したのは、縄文時代草創期の人でした。住居跡は発見されませんでしたが、千葉県内でも出土例の少ない押圧縄文系土器のかけらが見つかっています。以降、縄文時代早期から晩期までと弥生時代後期の土器片の出土が見られます。

 弥生時代後期に集落が営まれていた可能性はありますが、集落の様相が明瞭なのは古墳時代になってからです。時期的には前期から後期にまで及びます。調査された範囲での確認数に過ぎませんが、前期49軒、中期20軒、後期57軒が、この時代の住居跡の内訳です。集落は南側の未調査地にまで広がっています。

 ところで、古墳時代の岩富漆谷津遺跡で特色あるのは、祭祀に使用されたとされる鏡・剣・玉を模した石製模造品が数多く出土していることです。その石材には緑色片岩・緑色岩・蛇紋岩(じゃもんがん)・千枚岩(せんまいがん)・雲母片岩が用いられ、完成品ばかりでなく、制作前や制作途中にあるもの、また当地での制作を物語る屑(くず)が見られました。この他、滑石・蛇紋岩・雲母片岩・緑色凝灰岩(ぎょうかいがん)製の管玉、凝灰岩製の丸玉、ガラス製の丸玉・小玉、土製の丸玉・小玉・勾玉(まがたま)・棗玉(なつめだま)・管玉などが出土しています。石製模造品の出土を伴う古墳時代の遺跡は畔田川崎遺跡ほか市内にいくつかありますが、岩富漆谷津遺跡は玉類研究の貴重な資料を提供しています。

 なお、岩富漆谷津の集落は古墳時代後期に廃絶し、平安時代のうち9世紀になると、それほど長い期間ではありませんが再び集落が営まれ、そしてまた廃絶しました。遺跡の10世紀以降の様相は不明確ですが、室町時代には一部が墓地として利用されていました。

(「原始・古代の佐倉」佐倉市市史編さん室)

 
  
   
弥富小学校グランド

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